大判例

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金沢地方裁判所 平成7年(ワ)558号 判決

原告

高野信一

右訴訟代理人弁護士

鳥毛美範

被告

やちや酒造株式会社

右代表者代表取締役

神谷昌利

右訴訟代理人弁護士

湯沢邦夫

若杉幸平

主文

一  被告は、原告に対し、金一四五五万四三二〇円及びこれに対する平成七年六月二一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

三  この判決は仮に執行することができる。

事実及び理由

第一  当事者の求めた裁判

一  原告は主文同旨の判決及び仮執行の宣言を求めた。

二  被告は次の旨の判決を求めた。

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二  当事者間に争いのない事実

次の各事実は当事者間に争いがない。

1  原告は、昭和四年二月九日生れで、昭和五四年から、毎年一一月初めころから四月初めころまでの時期、被告方に住み込んで、酒造りの職人(蔵人)として勤務してきた。原告は、右以外の期間は農業等に従事していた。

被告は、酒類の製造及び販売を業とする株式会社である。

2  原告は、平成六年は、一一月五日から、被告方に住み込んで、蔵人としての仕事を始めた。

3  原告は、平成六年一二月一六日、脳梗塞(脳血栓。以下「本件脳梗塞」ともいう。)を発症し、浅ノ川総合病院に入院した。

第三  本件の争点及びこれに係る当事者の主張

一  原告は、請求原因として次の旨主張し、原告が脳梗塞を発症したのは被告における過酷な労働によるものであり、被告には安全配慮義務違反の債務不履行があるとして、これに基づく損害賠償として、金一四五五万四三二〇円及びこれに対する民法所定の遅延損害金の支払を求めた。

1  原告の労働(以下「本件労働」ともいう。)の実態

(一) 原告は毎日、午前五時頃に起床し、起床してすぐ麹室での作業を始め、それ以降さまざまな作業に従事して、午後八時三〇分頃まで働き(ただし、この間、朝食時の一時間、昼食時の二時間及び夕食時の三時間は休憩をとる。)、午後九時頃就寝し、就寝後も時々起床して、午後一一時頃に泡消し機の点検、午前二時頃に泡点検の作業に従事していた。

一日の労働時間は九時間以上になり、こうした状態が、四一日間、一日の休日もなく続いた。

なお、右のような労働の状態は、昭和五四年頃の就労以来、毎年同じであった。

(二) 原告が従事していた毎日の労働の詳細及びその作業条件は、次のとおりである。

(1) 午前五時すぎ

① 麹づくりの作業

室温摂氏三〇〜三五度の麹室で、約三〇分間、上下とも下着だけになって、急いで一気に、「切り返し」、「盛り」などの作業をする。

まんべんなく上下内外の蒸米を入れ替えるため、まず、重さ1.5㎏の道具(ブンジ)を使い、次いで、手で、入念に、攪拌、切り返しをして、麹菌の発育を均整にする。その後、五升入りのモミで麹を機械に入れ、その後、機械から出した麹を、一斗入りの麹蓋(箱)に入れて盛る。そして、麹室から出して、冷たい風に曝す(出麹)。

② 蔵内での蒸米の作業

①に続いて、蔵の中で、蒸米の作業をする。一袋三〇㎏の米を台車に乗せて運び、和釜の上の甑(コシキ)の高さ1.5mの所に、計二〇袋分の米(合計六〇〇㎏)を入れて、蒸す。「釜屋」としての原告の責任に属する仕事である。

なお、蔵の中は暖房設備も空調設備もなく、屋外とほぼ同じ温度であるため、外気温に応じて温度が上昇、下降し、かつ、冷えることも多い。

(2) 午前八時

① 蔵内での蒸米取りの作業

上衣はシャツ一枚になって足場に乗り、重さ1.1㎏の道具(櫂桶)を両手で持って、甑(高さ1.16m、直径1.35m、体積1.66m3)内の蒸米をすくって入れ、一回一回、隣りの機械(放冷機)に移し入れる。これも、「釜屋」としての原告の責任に属する仕事である。

一回の蒸米の作業につき、六〇〇㎏の蒸米を、二時間かけて、原告一人だけで、すくって移し入れをする。他の人との交替はなかった。甑の中の蒸米をすくいやすくするために、重さ1.5㎏の道具(ブンジ)で蒸米を寄せるのも、ほとんど原告一人でする。手伝いの山下は洗いものの仕事が主で当てにならなかった。

蒸米は、蒸し上がったばかりのものであるから、摂氏一〇〇度に近く、熱い蒸気を出しており、蔵内の温度とは八〇度以上の差がある。

蒸米取りは、狭い足場の上で身体のバランスをとりながらの作業であり、外気温と同じく冷える蔵内で、熱い蒸気にさらされながら行う力の要る作業である。それ故、大量の汗が出、原告にとって一番辛い仕事であり、酒造りの仕事の中で、「一番えらい仕事」で「一番の力仕事」といわれる。まさに重労働であり、高温多湿環境での力仕事である。

② 被告での蒸米の作業は、一一月五日頃からすぐに始まった。

その後の一〜二週間は、麹用、酒母用の蒸米をし、その後、本格的な仕込みが始まり、毎日、蒸米の作業をしていた。

(3) 午前一〇時

① 酒母(モト)蔵内での酒母づくりの作業

両手で重さ4.8㎏の道具(暖気樽)を持って、時に台に乗って、攪拌などをする。注意も要し、力も要る作業である。

② 温度調節等の作業

温度調節等は、本来は杜氏の仕事であったが、原告がしていた。

(4) 午後二時

① 酒母(モト)を仕込み用のタンク(高さ約2.4〜2.5m)に入れる作業。

② 仕込み用のタンクを洗う作業(約五本のタンクの中外とも洗う。)

(5) 午後三時

① 仕込み用のタンク内の泡の跡を掃除する作業

② 醪(モロミ)づくりの作業

①に続いて、約3.4mの高さの、二階の梁に板を渡したという簡易な足場に立って、長さ2.7m、重さ1.5㎏の櫂(カイ)棒を両手で持って、仕込み用のタンク内を攪拌する。また、先の方に氷を入れた道具(暖気樽。氷を入れているので、4.8㎏以上の重さがある。)を出し入れして、温度調節する。

これらの作業は、高い足場の上での、パランスをとりながらの作業であり、細心の注意が必要であり、力の要る作業である。

(6) 午後四時三〇分

釜場の段取り(約三〇分間)。

(7) 午後八時

仕舞い回り(約三〇分間)。

(8) 午後一一時

泡点検(時々)。

(9) 午前二時

泡点検(時々)。

2  原告の労働実態の評価

(一) 労働実態の全体的な評価

前述のとおり、原告は、平成六年一一月五日から、休日もなく毎日、酒造りの労働に従事していたものであり、その労働の実態は次のように評価することができるものである。

(1) 一般に、この酒造りの労働は、昼夜をわかたず、絶えず変化を重ねる微生物が相手の作業であるため、緊張と細心の気くばりを必要とし、単調でしかも辛い力仕事であり、加えて、夜中や明け方の寒さ、女人禁制のストイックな毎日の労働である。

しかも、原告が実際に従事していた酒造りの労働は、次の(二)で詳述するように、健康に危険なものであった。

(2) そのうえ、原告は、一一月五日から休日もなく、四一日間、毎日(一週でみると六三時間以上、一か月三〇日でみると二七〇時間以上)働き続けてきたものである。

このような長時間労働は、交感神経の緊張を高め、血圧の上昇や血管の収縮を引き起こす大きな要因であり、業務起因性の環境器疾患発症の最も重要な要因となるものである。

(3) しかも、原告が就寝する寝室は、毎日の疲れを癒すに足りるものではなく、むしろ、疲れを蓄積させるものであった。

すなわち、寝室は、本宅の二階の、急でかつ狭い階段を登った所にある。広さは一二畳程度で、暖房設備はなく、冷える。押入れもタンスもない。この狭い部屋で四人の男が寝起きするという、劣悪な条件であった。

疲労は、進行過程だけでなく、回復過程が重要であり、労働の強度だけでなく、休息や休憩によって疲労が回復したか否かが重要であるから、右のような就寝環境は大きな問題となるものである。

(二) 原告の従事していた酒造りの労働の評価

右(一)で述べたことに加えて、原告が当時実際に働いていた作業及びその作業環境には、血圧の変動や交感神経の緊張あるいは脱水を引き起こす要因が多数存在した。

これを具体的述べると、次のとおりである。

(1) 麹室作業から出麹の作業に移ることは、温度差にして二〇度以上の急な寒冷暴露にあたり、急激な血圧上昇を引き起こすものである。

また、摂氏三〇〜三五度の麹室での作業は、汗をかくことにより、脱水傾向を起こし、血圧変動が大きくなる。

(2) 蒸米作業、酒母(モト)作りの作業、醪(モロミ)づくりの作業などは、寒い蔵の中で、時々力を要する仕事があるところ、寒冷下の筋肉労働は、時間が短かくても血圧の大きな変動が予想されるものである。

(3) 特に、蒸し米取りの作業は、高温多湿環境での力仕事であり、脱水により血流が濃くなり、循環不全や血栓形成を促進する危険が高い作業である。また、蒸し米取りを行なう蔵の温度は一〇度以下になる日もあるため、作業の位置により温度差が激しく、血圧の変動も激しいと考えられる。特に、汗をかいた後に冷気に触れると、体温の喪失は、大きく、また、脱水があれば、血圧の変動も一層激しいものになる。

(4) 二階足場から櫂棒でタンク内を攪拌する作業は、六五歳の高齢者にとって危険であることは否定できず、交感神経の緊張を招いて、労作による影響と併せて、血圧の上昇や血管の収縮を来たす作業である。

(5) 午後九時頃の就寝後に起床して時々行なっていた仕舞い回り、泡点検は、寒い蔵の中に入ってするものであるから、急激な血圧上昇を引き起こし、高血圧を有する者にとって危険な作業である。

(6) また、高血圧者では、一般に、起床時に血圧が急に上昇することが知られており、脳梗塞の発症を防ぐためには、寝室やトイレなどの生活環境の温度管理が重要である。原告が発症した日は特に寒く、発症時の気温が4.6度であったことを考えると、直接の労働環境ではないが、寝室の温度が低かったこととの関連も否定できない。

(三) まとめ

以上のように、原告が実際に従事していた労働は、日々高温多湿のもとでの力を要する作業が多く、体力を甚だしく消耗し、かつ、精神の緊張を要する作業が多かったものであり、全体として過酷な労働であった。

しかも、四一日間、一日の休みもない、長時間労働の連続であり、この点からも、過酷な労働であったと評価されるものである。

一般に、少なくとも、長時間労働、深夜勤務、過大な負担や心理的緊張、寒冷や筋肉労働、以上のうち二つ以上が重なることのないように管理することが重要であるところ、原告の本件労働には、少なくとも、長時間労働と寒冷や筋肉労働の二つが当てはまり、深夜勤務と過大な負担や心理的緊張も部分的に当てはまるのである。

3  本件脳梗塞発症の原因

(一) 脳梗塞の発症

原告は、右のような過酷な労働を続けた結果、平成六年一二月七日頃から背中に痛みを感じるようになり、ついに、同月一六日、脳梗塞(脳血栓)で倒れたものである。

原告は、一六日午前二時頃、泡点検とトイレのために起床したところ、左足の不自由と左半身のシビレ感を感じた。そのため、トイレに行っただけで就寝したが、一時間ほどたっても治る様子がなかったため、同室に就寝していた杜氏の山口鉄雄に訴え、山口杜氏に肩車されて、一階の休憩室に移り休んでいたが、症状は変わらなかったため、午前九時頃になって、ようやく、被告の車で浅ノ川総合病院に送られた。

そして、同病院で脳梗塞、高血圧との診断を受け、入院した。

(二) 脳梗塞の意義と原因

(1) 脳梗塞の意義

脳梗塞とは、脳内の血管がつまり、脳に血液が送りこまれず、脳虚血状態となって、脳組織が壊死することによってその部分に相当する機能障害を発生する疾病をいう。その原因により、脳血栓と脳塞栓に分けられているところ、前者(脳血栓)は、脳を灌流する動脈に動脈硬化性病変が進行して血管狭穿がおこり、血栓形成をともなって、血管閉塞をきたしたものであり、後者(脳塞栓)は、心臓疾患に起因する心臓の壁在血栓や大動脈、頸部動脈のアテローム病変に加わった血栓が剥離して脳に運ばれ、脳動脈を塞栓して起こるものである。

浅ノ川総合病院の診断によると、原告の脳梗塞は、前者の脳血栓であるが、発症機序でみると、血栓性ないし血行力学性のものである。

脳血栓は、臨床的病型でみると、閉塞動脈の大きさにより、アテローマ血栓性脳梗塞(皮質枝系梗塞)とラクナ梗塞(穿通枝系梗塞)とに分かれ、原告の脳血栓は、後者のラクナ梗塞(穿通枝系梗塞)にあたる。

(2) 脳梗塞の原因

① 脳梗塞の発症もしくは増悪をしやすくする条件(危険因子・促進因子)として指摘されているのは、ⅰ高血圧、ⅱ動脈硬化、ⅲ高脂血症、ⅳ精神的・肉体的ストレス、ⅴ喫煙・食生活等がある。

右ⅳの精神的・肉体的ストレスが加わると、交感神経系を興奮させ、アドレナリン、ノルアドレナリン、アンジオテンシン、セロトニン、ブクジキニン、プロスタグランジンなどの物質を血液中に増加させ、その結果血圧が上昇し、また、血管の内皮細胞を刺激して収縮させ細胞の隙間を拡げ、リポ蛋白のVLDL、LDLを通過させ、動脈硬化を促進する。動脈硬化はまた高血圧をもたらす。

心配、不安、恐怖などの強い精神的ストレスが、血圧を上昇させ、コレステロールを増加させるばかりでなく、心臓に負担をかけ、食欲、消化を害し、不眠、うつ状態、ときには不穏状態をもたらして悪循環を形成し、また、激しい労働など肉体的な過酷なストレス(労働条件・温度条件など)が血圧を上昇させることは、よく知られていることである。

そして、このストレスは、脳血栓発症のいわゆる引き金として重要視されている。

② ラクナ梗塞(穿通枝系梗塞)は、次のような経過で発症するものである。

すなわち、脳の穿通枝は、太い血管からほぼ直角、もしくは、逆行する角度でいきなり細い血管が枝分かれしているため、血圧や血流の影響を受けやすいうえ、高血圧や交感神経系の緊張等によって生ずる血管収縮により血流が不足して酸素不足(虚血)にもなりやすい。こうした変化が繰り返された結果として、脳梗塞(脳血栓)に至る。

したがって、ラクナ梗塞(穿通枝系梗塞)の発症については、労働に関連する要因として、血圧を変動させる要因、血流を変動させる要因、脱水など血液を流れにくくする要因など、さまざまな労働条件や労働環境が考えられる。

(三) 原告の健康状態

(1) 健康診査の結果

原告は、平成六年六月一〇日、本件脳梗塞発症のわずか六か月前に、珠洲市の健康診査を受けた。その血圧検査の結果では、最高血圧(収縮期血圧が一四六mmHg最低血圧(拡張期血圧)が八四mmHgであった。

右の数値は、WHOの基準に照らすと、最高血圧が正常血圧の範囲をやや超え、最低血圧が正常血圧の範囲内にあるもので、全体として「やや高血圧」という程度(境界域血圧もしくは軽度高血圧と評価される程度)のものである。それは、もちろん、自然的経過で六か月後に脳梗塞(脳血栓)を発症せしめるという程度のものではないことが明らかである。

(2) 喫煙・飲酒その他

原告は、以前は、喫煙と飲酒をやっていたが、六〇歳を機に、両方ともやめ、以来、本件脳梗塞の発症まで五年間、喫煙と飲酒はやめていた。

また、原告は、当時、脳血管に動脈硬化があったが、これは「明らかな病変部位」つまり「責任病変」ではなく、本件の脳血栓の発症に直接に結びついたものではない。

また、そもそも、この動脈硬化自体も、後にも述べるように、被告の下での一五年間の過酷な労働の結果と言えるのである。

(3) その他、原告の健康状態等には、本件脳梗塞の発症に直接結びつく要因は存在していなかったものである。

(四) 本件脳梗塞発症の原因

(1) 過酷な労働

前述したように、原告が従事していた労働は、心身とも極めて過重、過酷なものであった。

すなわち、長期間(四一日間)、連続で、早朝から深夜に及ぶ九時間以上の労働を一日も休みなく続け、しかも、その労働は、細心の注意を要するうえ、高温多湿のもとでの力仕事、低温のもとでの力仕事、高所での力仕事など、体力を甚だしく消耗する労働であり、全体としても精神的・肉体的ストレスの非常に大きいものであった。

特に、毎日二時間かけた蒸米取りの作業は、重労働であり、原告を著しく疲労させ、かつ、その疲労を蓄積させるものであった。それ故に、原告が倒れた後、被告はこの蒸米取りの作業を機械化したのである。

寝室の設備も不十分なもので、疲労を癒すものではなく、むしろ、寝室は冷え込んでいて、就寝・休息に対して有害なものであった。

これらの過酷な労働とそれによる精神的・肉体的ストレスが原告の本件脳梗塞の発症に結びついたと考えられる。

(2) 過酷な労働による精神的・肉体的ストレス

① 原告が本件脳梗塞を発症するに至ったのは、右に述べた過酷な労働とそれによる精神的・肉体的ストレスに起因するものである。

すなわち、原告が従事していた労働の過酷さは、原告に対して、約四一日間疲労を蓄積させるとともに、同時に、日々、過重な精神的・肉体的ストレスとなっていき、原告をして本件脳梗塞を発症させるに至らせたものである。

② その過酷さの要因は、前述のとおり、長時間労働、休日なしの連続勤務、早朝から深夜までの労働、寒さ(低温)、熱さ(高温多湿)、その変動、重筋労働性(力仕事)、寝室・睡眠環境の劣悪さ等である。

脳梗塞等の循環器疾患の労働の環境・条件に関する危険要因として、ⅰ労働時間と休養のバランスや日内リズムに関連する長時間労働、長時間拘束、休日出勤など、ⅱ精神・心理的な緊張や負担に関連する危険作業、精密作業など、ⅲ身体的緊張や負担に関連する寒冷暴露、気温の変化、温度差、高温高湿、重労働などが指摘されているが、原告の労働に当てはまるところが多い。

また、別の角度から、危険要因が七点指摘されているが、これら七つの危険要因のうちの三つ(ⅰ残業や休日出勤など長時間勤務のある作業、ⅱ重筋労働などエネルギー消費の大きい労働、ⅲ寒冷環境下の作業や高所作業)が、本件の原告の労働に当てはまるのである。

そのうえ、このような危険要因は、原告に対しては、通常人よりも、一層大きな影響と被害をもたらすものである。けだし、「やや高血圧」の者、長時間労働等により疲労状態にある者、高齢者は、そのような危険要因に対しての耐性が弱く、その影響を受けやすく、影響を受けた場合その程度はより大きくなるからである。

(3) こうして、原告は、被告のもとでの冬場の過酷な労働により、当時「やや高血圧」という状態であった基礎疾患を急激に増悪させ、その結果、脳血管の穿通枝系に脳梗塞が発生したものである。

一〇数年間にわたって繰り返された、冬場の寒冷環境での筋肉労働、高温多湿環境での筋肉労働とその直後の寒冷暴露、高所での緊張を要する筋肉労働、寒い寝室と深夜起床直後の寒冷場所での点検作業等は、原告の脳血管の変化を自然経過を超えて促進させていたと考えられる。

その結果、作業も忙しくなり疲労が蓄積してくる時期で、特に冷え込んだ一二月一六日の深夜に脳梗塞の発症に至ったものである。

(五) 以上のとおり、原告の健康状態は「やや高血圧」という程度であって、他に脳梗塞の発症につながる病気をかかえていた訳ではなかったのに、約四一日間連続の過酷な労働による疲労の蓄積とその過酷な労働による精神的・肉体的ストレスによって、自然的経過を超えて脳梗塞(脳血栓)を発症するに至ったものであり、他に有力な原因はないのである。

本件脳梗塞発症の六か月前には前述した程度の血圧状態であった原告が、発症後には、右が一〇四mmHg〜一九二mmHg、左が一一〇mmHg〜一八四mmHgという顕著な高血圧の状態になっていたという事実は、その間の被告のもとでの過酷な労働により、「やや高血圧」という基礎疾患が自然的経過を超えて著しく増悪したことを示している。

したがって、原告につき、過酷な労働と本件脳梗塞との間には、相当因果関係が優に認められるのである。

4  被告の責任(安全配慮義務違反)

(一) 安全配慮義務

一般に、使用者は、その雇用する労働者等の生命・健康の安全に配慮する義務を有し、これに違反した時は、債務不履行になり、損害賠償義務を負担する。

(二) 本件における安全配慮義務の内容とその違反

(1) 日・週の労働時間

① 被告は、第一に、原告に対して、労働時間は一日八時間、週四〇時間の範囲内にとどめておくべきであった(労基法三二条)。

② しかるに、被告は、右規定を無視し、それ以上の労働時間を、所与の大前提として組み込んでいた。そのため、原告は、基準を超過して毎日九時間以上も労働し、(そのほか、時々、午後一一時と午前二時にも労働し)、週でみると、基準を二三時間以上も超過して、七日間で六三時間以上も働いていたのである。

③ なお、仮に、被告の主張するとおり、通達により労働基準法三二条が適用されないことになっているとしても、信義則上の安全配慮義務の内容を考えるにあたっては、損害の公平な分担という理念からして、労働基準法三二条が最低限の基準となるものである。

(2) 休日

① 被告は、第二に、原告に対して、週一回以上の休日を与えるべきであった(労基法三五条)。

休日が脳梗塞等の循環器疾患の予防上も必要であることは言うまでもない。

② しかし、被告は、労基法の右規定を無視し、休日労働を当然のこととしてシステム化していた。そのため、原告は、労基法の週四〇時間の定めに違反して、毎週六三時間以上労働した。これは労働省の時間外労働についての通達にある「週一五時間以内」というガイドラインを八時間以上も超過するものである。また、一か月(三〇日)でみると、毎月二七〇時間以上の労働をしており、九八時間三〇分間以上の超過労働をしたことになり、これまた、右通達にある「一か月四五時間以内」というガイドラインを大幅に超過するものである。

(3) 健康診断

① 被告は、第三に、原告を雇い入れるにあたっては、健康診断をして、その健康状態を把握すべきであった。そして、その健康診断の結果をみて、労働者の健康を保持するための適切な措置を講じるべきであった(労安法六六条の三)。

労働の場での脳梗塞等の循環器疾患を予防するためには、使用者は、まず第一に、健康診断をしなければならないのである。

② しかし、被告は、原告の健康診断を全くしようとせず、原告を過酷な条件のもとで労働させ続けた。

③ 被告は、原告は季節労働者だから健康診断は必要でないと主張するが、季節労働者だといっても、原告は毎年冬季に六か月間働き、それが一五年間継続していたのであるから、被告において、毎年の就労の初めにおいて、原告の健康状態を把握して配慮を加えるべきであったことは、信義則上当然のことである。

(4) 作業環境の整備

① 被告は、第四に、原告の作業環境たる蔵内の換気・採光・保温等について配慮して、必要な措置を講じるべきであった(労安法二三条、労安規則六〇六条)。

② しかし、被告は、劣悪な環境条件のもと、特に、蔵内の温度が外気温に応じて変動し、かつ、非常に冷える所で労働させ、健康に配慮しなかった。少なくとも、外気温に応じて変動しないように、一定の温度を保つ空調設備が必要であったと考えられる。

(5) 作業条件の調整

① 被告は、第五に、原告に対して、その担当する作業が過重にならないよう交替制をとるなどして配慮して、作業条件を適切に調整・管理すべきであった(労安法六五条の三)。

② しかし、原告の担当する作業は原告にとって過重なものであり、特に蒸米取りの二時間の作業は極めて過重なものであったのであるが、被告は、いずれも、原告が一人でするようにさせていた。

(6) 健康教育等

① 被告は、第六に、原告に対して、健康教育・健康相談その他の必要な措置を実施すべきであった(労安法六九条)。この点は、労働の場での循環器疾患を予防するためにも重要である。

② しかし、被告は、健康教育など一切実施しなかった。

(7) 就寝環境の整備

① 被告は、第七に、原告に対して、就寝場所につき、通路・床面・階段の保全等及び換気・採光・照明・保温・防湿・休養等につき配慮して、必要な措置を講じるべきであった(労安法二三条、労安規則六〇六条・六一六条)。

② しかし、被告は、男四人でわずか一二畳と狭いうえに、暖房設備さえもなく冷えるという劣悪な環境条件の部屋で、原告を就寝させ続けた。

(8) 高齢者への配慮

① 被告は、第八に、以上の措置につき、原告が高齢者であることに特に配慮してなすべきであった(労安法六二条)。

② しかし、被告は、右(1)〜(7)でみたような状態であり、高齢であることを配慮した形跡など全くなかった。

(9) 右(1)ないし(8)のとおり、被告は、原告を使用するにあたって、その健康状態の把握に努め、また、労働時間を含む労働の状況の把握に努め、その健康状態・労働状況並びに高齢であることに応じて、快適・適切な作業環境と作業条件を整備・調整し、原告の担当する労働を軽減するという配慮をなすべきであったものである。

しかるに、被告は、これらの配慮を全く欠き、使用者としてなすべき当然の安全配慮義務を尽くさなかったものである。

(三) むすび

以上のように、被告の負担する安全配慮義務の内容は明らかであり、そして、被告がこれらの安全配慮義務に違反したことも明らかである。

また、被告は、そうした安全配慮義務を全く尽くさなかったが故に、原告の過酷な労働状況と健康状態の悪化傾向を把握・認識することができなかったのであり、それ故、適切な具体的措置をとりえなかったのである。

そして、これらの安全配慮義務違反が、累積相乗して、原告に対して、過酷な労働を強いることとなり、その結果、本件脳梗塞を発症させるに至ったことは明白である。

したがって、被告は、安全配慮義務違反による債務不履行責任として、本件脳梗塞発症により原告の被った損害を賠償すべき義務がある。

5  原告の入通院の経過と後遺症

(一) 原告は、平成六年一二月一六日から平成七年二月五日まで五二日間浅ノ川総合病院に入院し、退院後は、住所地に戻り、珠洲市総合病院に通院し、現在も通院生活を送っている。

(二) 原告の現在の症状は、「左不全麻痺」、「左半身知覚障害」で、軽作業は可能と診断されている。この症状は、少なくとも、後遺症等級表の「神経系統の機能又は精神に障害を残し、軽易な労務以外の労務に服することができないもの」(七級)に該当する。

6  原告の損害

原告は、本件脳梗塞の発症により、次のとおりの損害を被った。

(一) 治療費 金五四万四〇八〇円

浅ノ川総合病院分四九万〇七八〇円、珠洲市総合病院分五万三三〇〇円

(二) 入院雑費 金七万二八〇〇円

一日一四〇〇円の五二日間分。

(三) 通院交通費 金四二〇〇円

一往復のバス代三〇〇円

(四) 休業損害 金一〇五万円

原告は、平成六年一二月一六日から平成七年三月三一日まで被告会社で稼働していたならば、右金員の支払を得られたはずであるのに、本件脳梗塞の発症によりこれを喪失した。

(五) 逸失利益 金一五六万三二四〇円

原告は、少なくとも後二年間は被告会社において勤務可能であったのであり、その間合計金三〇〇万円程度の収入が見込まれるので、その現価二七九万一五〇〇円に、後遺症七級の労働能力喪失率五六%を乗じると、原告の逸失利益は金一五六万三二四〇円となる。

(六) 慰謝料 金一〇〇〇万円

原告には、その精神的苦痛を慰謝するものとして、入通院分として金一〇〇万円の、後遺症分として金九〇〇万円の慰謝料が認められるべきである。

(七) 原告は、右合計金一三二三万四三二〇円の損害賠償を請求しうるところ、被告に対し平成七年六月二〇日にその支払を請求したが、被告がその支払を拒絶するので、本訴の提起・追行を代理人弁護士に委任した。その弁護士費用損害として金一三二万円が認められるべきである。

二  被告は、原告の右請求原因主張を争い、反論として次のとおり主張した。

1  被告の安全配慮義務について

以下に述べるように、被告に安全配慮義務違反があるとして原告の主張するところはいずれも事実に反するか、あるいは誤った前提に基づくものであり、被告には安全配慮義務違反はない。

(一) 四一日間の連続労働について

原告の蔵人としての労働が本格化したのは平成六年一一月三〇日からである。それまでの二五日間は少量の酒母米を蒸す外は蔵のかたづけや軽作業であり、一日の労働量としてはわずかである。ちなみに一一月二九日までの二五日間の蒸米の量は合計で二三九三キログラムにすぎず、これは作業が本格化した日以降の四日分にも満たない。

それ故実際に労働が連続して行われたと評価すべきは、同月三〇日から一二月一五日までの一六日間である。四一日間連続して働かせていたというのは全く当たらない。

(二) 一日の労働時間について

原告の労働は過酷といわれるような長時間労働ではない。

一一月三〇日以降の一日の労働時間は午前五時三〇分から午後八時三〇分までの間で約八時間半である。一週間では六〇時間を下回っている。

すなわち朝食前一時間半、午前八時から正午まで四時間、午後二時から五時まで三時間、夕食後午後八時から二〇分程度であるが、午前と午後には各一五分程度の休憩時間をとっていたため実質労働時間は約八時間半である。

なお深夜の泡消し機の点検については、毎日定時に行うとか当番制で行うとかいうものではなく、トイレに起きた人が見分してポンプのスイッチを入れる程度であるし、そもそも原告がそうした作業を行ったかどうか、行ったとしても一六日間のうち何回行ったかは全く不明である。

原告は一日の労働時間が九時間以上、一か月で二七〇時間以上の労働をしていたと主張するが、一日の労働時間は右の通り八時間半であるし、連続労働として問題になるのは一一月三〇日からの一六日間であるから、一か月に換算することは無意味である。

(三) 原告の労務内容について

(1) 原告は蔵人として、杜氏の山口鉄雄の指示に従って仕事をしており、独自の判断で働いていたものではない。したがって、杜氏と違って、原告には緊張と細心の気配りが求められるような労務はない。原告には労働によって精神的ストレスはあまりかかっていない。

(2) 麹室での作業に原告のかかわっていたのは、切り返しと出麹の作業であり、一日三〇分程度で、さほどの重い負担にはなっていない。

(3) 午前八時から一〇時までの約二時間の蒸米取りの作業については、原告が作業を行いやすくするため、蔵人の山下が蒸米をかき集める仕事をして手伝っており、原告に過重な負担にならないよう相当な配慮がなされていた。

(4) 午前一〇時から一二時までの作業のうち暖気樽による攪拌について、力仕事であるのは一時的であり、また、杜氏の指示によって行うもので、原告が特段注意を払う必要はない。

(5) 午後三時からの仕込み用のタンクをカイ棒で攪拌する仕事は、原告一人で行うのではなく皆で行っており、被告にさほどの負担をかけているものではない。

(6) 被告の酒蔵では各人の仕事の分担をどのようにするか、仕事中の休憩をいつどのくらい取るかはすべて山口杜氏が決定しており、被告は一切そうしたことを指示していない。山口杜氏としては原告が右のような労務に従事しても健康上特段問題はないと判断していたものである。

(四) 労働環境や就寝場所について

(1) 麹室が高温多湿であるのは、酒造りには避けられないことである。麹室での作業はすべて自動化させ、一切人に労働させるべきではないとする議論があるとは考えられない。他の会社の酒蔵でも同じような作業が行われている。

(2) 蔵に暖房が入っておらず寒い中で労働しなければならないのも、酒蔵の宿命である。蔵を暖房し、タンクだけを冷たくしておくということはほとんど不可能である。

原告は「蔵内の温度が少なくとも外気温に応じて変動しないように、一定の温度を保つ空調設備が必要であった。被告は平成七年にはそのような設備を導入している。」と主張するが、これは原告の誤解である。被告が導入した設備というのは、蔵内を一〇度以下に保つための冷房装置であって、蔵内が寒くならないように一定温度を保つためのものではない。他の会社でも酒蔵に暖房を入れているということはない。

(3) 原告らの就寝する部屋に暖房がないのは事実であるが、泊まり込みの労働者の寝室に暖房設備をする義務があるとまではいえない。原告や他の労働者からは寝室に暖房設備をするよう求められたこともない。

(4) 平成六年一一月五日から一二月一五日までの気温を見ると、最高気温が一〇度に達しなかったのは一二月五日、一〇日、一五日の三日間のみであり、体に異常をきたすほどの強い寒さにはなっていなかった。

(五) 原告の日常の健康管理について

(1) 原告は一一月上旬から翌年四月上旬まで五か月間の季節労働者である。昭和五四年から一五年間続いたのはたまたまそうなったにすぎず、あくまで一年単位である。このような季節労働者については雇主において健康診断をすることは義務付けられていない。季節労働者について、労働に耐えられる健康状態であるかどうかは労働者が自己責任において判断することとされているものである。

しかも毎年誰が蔵人として来るかは山口杜氏が決めていたことであり、被告としては山口杜氏が連れて来た原告を蔵人として受けいれていただけである。

(2) 被告としては毎年原告が季節労働者としてやってくるので、蔵人として働くことについては健康上何らの問題もないものと考えていたものであり、そのように考えたことについて被告に過失はない。

もし原告が血圧が高いとか、何か健康上の問題があるとか聞いておれば、被告としてはそれによってしかるべき配慮をしていたはずであるが、山口杜氏からそうした事を聞いておらず、原告からもそのような訴えがなかったものであり、被告としては配慮のしようがない。

2  本件脳梗塞の発症と業務起因性

以下に述べるように、本件脳梗塞の発症は、蔵人としての労働によって生じたものであるとは到底言えない。

(一) 脳梗塞発症の要因

(1) 脳や心臓の疾患は血管病変等が加齢や一般生活等における諸種の要因によって増悪し発症するものがほとんどであり、基本的にはこの血管病変等の形成に当たって労働者の日常の業務が直接の要因とはならないものである。脳、心臓疾患の発症と医学的因果関係が明確にされた特定の業務は認められない。この点じん肺などのような職業病とは全くその性質を異にするものである。

業務上の諸種の精神的、身体的負荷が場合によっては血圧変動や血管収縮に関与することは医学的に考えられるところではあるけれども、労働者が日常の業務に従事する上で受ける負荷による影響は、その労働者の血管病変等の自然経過の範囲内にとどまるものである。

(2) しかしながら例外的に業務によって極度の緊張、興奮、恐怖、驚愕等の精神的負荷を引き起こす突発的又は予測困難な事態や緊急に強度の身体的負荷を強いられる異常な事態がもたらされた場合及び日常業務に比較して特段に過重な業務に従事した場合には、それによって血管病変が自然経過をこえて急激に著しく増悪し発症することがある。

このような場合には発症が例外的に業務に起因するものと判断されることもありうる。最近よくいわれる過労死がこれに当るものと思われる。但し、医学的経験則上は、問題とされる業務によって過重な負荷を受けてから数日以内に発症するものと考えられ、あまりに長期間経過後に発症したものについては業務との因果関係はないものとしなければならない。

(二) 平成六年一一月五日から同年一二月一五日までの原告の業務との関連性について

前述の業務内容に鑑みれば、原告の労働は蔵人としての通常の業務の範囲内であり、脳梗塞を発症させるほどの重い負荷を与える過重な業務であったとはとうてい言えない。

原告が以前から持っていた脳血管の病変が自然経過をたどって、たまたまこの時期に発症したというにすぎないものである。

(三) 過去一四年間の蔵人としての業務との関連性について

(1) 原告は過去一四年間にわたる蔵人としての労働によって血管に病変をひきおこし、それによって本件の脳梗塞が発症したとするが、これは医学的に見ても著しく根拠に乏しい主張である。

そもそも人間の血管は加齢による老化現象で硬化したりもろくなったりするものであるし、血管の病変もさまざまな要因によって生じるものである。したがって、原告の過去一四年間の生活のすべてを子細に観察して、被告の酒蔵における蔵人としての労働以外の他の要因が関与しているものでないことを明らかにしないかぎり、右労働に起因していると軽々しく結論付けることはできないものである。

原告の主張の根拠となっている証人服部真の証言や同人作成の甲第一六号証の鑑定意見書では、被告の酒蔵での五か月間の業務以外の他の諸要因については全く考慮されておらず、とうてい採用できないものである。

(2) 加齢による影響

日本人の死亡原因の第三位になっているのが脳血管疾患である。これは加齢によって血管が硬化したり、もろくなったりするためである。

他に何ら特別な要因が見当らなくも、高齢者の場合には脳血管疾患を発症する場合がある。六六才で脳梗塞を発症した原告には加齢という要因がかなりのウェイトを占めているといえる。

(3) 高血圧による影響

高血圧が脳梗塞の大きな原因になることは周知のところである。原告は平成六年六月一〇日に行った健康診断の結果最高血圧一四六、最低血圧八四であり、軽度もしくは境界域にあり、高血圧とはいえないという。しかしこれは次の二点で疑問がある。

① 血圧の測定にあたっては一回測定で診断しないというのが大原則である。軽度〜中度の高血圧症の例では、血圧が動揺性で、しばしば正常化することがある。一回測定で原告の血圧は問題がないとはとうていいえない。

② 原告も自分が高血圧であることを相当意識していた。診断書にも高血圧を指摘されていたが放置していたと記載されており、発症後の問診でも高血圧を申告しているし、看護記録にもその旨の記載がある。

原告が何らかの治療を必要とする軽度〜中度の高血圧であった可能性は十分考えられる。

(4) 飲酒、喫煙、その他日常の食生活による影響

飲酒や喫煙、食生活(塩分の取り過ぎ)が血管の疾患に悪影響を与えることも周知のところである。特に長年の喫煙による影響は大きく、晩年になって禁煙しても過去に生じた影響は容易には除去されない。原告は六〇才くらいまで飲酒歴、喫煙歴があったことは原告自身も認めている。それが相当程度の影響を与えていることは事実であるが、どのくらい影響を与えていたかは不明であり、またその他の食生活については全く不明である。

なお原告は六〇才以降は酒を断っていたというが、これは極めて疑わしい。山口杜氏によれば、被告は以前に相当飲酒して体を悪くしており、平成六年にも量は減らしたが飲酒していたとのことである。

(5) 毎年四月上旬から一一月上旬まで七か月間の労働や日常生活による影響

原告が蔵人として働いていた期間のことはおおよそ明らかになっているが、それ以外の七か月間についてはどのような生活をし、どのような労働に従事していたかははっきりとはわかっていない。

原告本人尋問によれば農業の外、夏場は土方(土木作業員)の仕事もしていたとのことである。だとすれば過重な力仕事や災天下での力仕事などの過酷な労働は当然想像されるところであるし、原告の主張している「著しい発汗による脱水症状で血流濃縮が生じた結果、脳血管の血流障害をきたす」ことも起こりうるところである。

「我が国の農業従事者の脳心血管疾患の死亡率は他の職種に比べて高率である…。農村部の四〇才〜六九才の脳卒中発生は二月、六月、一〇月に多く農繁期の労働の過重性に注目している」との文献もあり、農作業による影響が無視できないことがうかがわれる。

一年のうち七か月もの農業労働や土木作業員としての労働が原告の脳血管疾患に何らの悪影響も及ぼさなかったとはとうてい考えられない。この七か月間を全く無視して、残り五か月間の蔵人としての労働状況のみをもって論じても正しい結論を得ることは不可能である。

第四  証拠関係〈略〉

第五  争点に対する当裁判所の判断

一  書証について

以下の認定に供する書証の成立又は原本の存在とその成立については、いずれも、当事者間に争いがないかあるいは弁論の全趣旨によりこれを認めることができる。

二  原告の労働(本件労働)の状況について

前記第二記載の争いのない事実に、甲第六、一一、一四、一五号証、第二三号証の1、2、第二四号証、乙第一号証、証人山口鉄雄の証言、原告本人尋問の結果、被告代表者尋問の結果及び弁論の全趣旨を総合すれば、次の各事実が認められる。

1  (勤務期間等)

原告は平成六年一一月五日から被告会社に住み込み、本件脳梗塞を発症した一二月一六日までの四一日間、休日もなく連日、酒造りの職人(蔵人)として、被告会社で労働に従事した。

被告会社での酒造りは、杜氏の山口鉄雄(以下「山口杜氏」という。)の下に、原告、小安土(麹屋)、山下、藤田(女性、米洗い担当)が住み込みで従事していた。

平成六年一一月五日から一一月二四、五日ころまでは、三日に一回程度主に麹用、酒母用の蒸米を蒸す外は、蔵の片付け等の準備作業を行った。酒造りの作業が本格化したのは一一月二五、六日以降であり、それ以降は毎日蒸米の作業を行った。本格化以前の蒸米の量(作業した日の一日当たりの量)は、概ね、本格化した以降の一日当たりの量の三分の一弱であった。

2  (作業日課、具体的作業内容及び作業条件)

作業が本格化してからの、原告の作業日課、具体的作業内容及び作業環境は、次のとおりであった。

(1) 午前五時ころ起床

(2) 午前五時すぎから、麹作りの作業、続いて蒸米の作業

① 麹作りの作業

約三〇分間の作業。

麹作りの作業は、麹が冷えないうちに、急いで一気にほぐす「切り返し」の作業や、「盛り」の作業等である。まんべんなく上下内外の蒸米を入れ替えるため、まず、重さ1.5kgの道具(ブンジ)を使い、次いで、手で、入念に、攪拌、切り返しをする。その後、五升入りのモミで麹を機械に入れた後、その機械から出した麹を一斗入りの麹蓋に入れて盛り、麹室から出して、冷たい風に曝す(出麹)。

原告は、杜氏及び麹屋(麹作りの責任者)の指示の下、他の蔵人と共に「切り返し」と出麹の作業に従事した。

麹室での作業は、室温三〇℃以上の高温かつ多湿の麹室内で、上下とも下着だけになって行う。麹室作業から出麹の作業に移る時には、温度差が二〇℃以上の寒冷暴露となる。

② 蒸米の作業

蒸米の作業は、蔵の中で、一袋三〇kgの米二〇袋を、台車に乗せて運び、和釜の上の甑(コシキ)―高さ1.5mとなる―に入れて、蒸す作業であり、「釜屋」としての原告の責任に属する仕事である。

蔵の中は暖房設備も空調設備もなく、屋外とほぼ同じ温度であるため、外気温に応じて温度が上昇、下降し、かつ冷えることも多い。蒸米の作業は、このような寒い蔵の中での筋肉労働である。

(3) 午前七時ころから、朝食、休憩

約一時間。

(4) 午前八時ころから、蒸米取りの作業

約二時間かけて行う。

蒸米取りの作業は、屋外とほぼ同じ蔵の中で、上衣はシャツ一枚になって、甑にかけた足場に乗り、櫂桶(重さ1.1kg、約一〇l入り)を両手で持って、甑(高さ1.16m、直径1.35m、体積1.66m3)内の蒸し上がった米をすくって入れ、一回一回、隣りの機械(放冷機)に移し入れる作業であり、「釜屋」としての原告の責任に属する仕事であった。

蒸米は蒸し上がったばかりのもので、一〇〇℃に近く、熱い蒸気を出しており、蔵内の温度とは八〇℃以上の差がある。一回の作業につき、六〇〇kgの蒸米を、約二時間かけて、原告一人ですくって移し入れをした。甑の中の蒸米をすくいやすくするため、重さ1.5kgの道具(ブンジ)で蒸米を寄せる仕事の一部は、蔵人の山下が手伝っていた。

狭い足場の上で身体のバランスをとりながらの作業であり、外気温とほぼ同じ温度の寒い蔵内で、熱い蒸気にさらされながら行う力仕事である。

(5) 午前一〇時ころから、酒母(モト)づくりの作業

酒母蔵内で、杜氏の指示の下に、両手で重さ4.8kgの道具(暖気樽)を持って、攪拌等の作業を行う。これも、寒い蔵の中での力仕事である。また、本来は杜氏の仕事である温度調節を原告が行うこともあった。

(6) 正午ころから、昼食、休憩

約二時間。

(7) 午後二時ころから、酒母を仕込み用のタンクに入れる作業、続いてタンク洗い作業

仕込み用のタンクは、高さ約2.4〜2.5m、直径約1.9mである。原告は、毎日約五本のタンクの中外とも洗っていた。

(8) 午後三時ころから、仕込み用のタンク内の泡の跡の掃除作業、続いて醪(モロミ)づくりの作業

醪づくりの作業は、他の蔵人と共に、約3.4mの高さの足場(二階の梁に板を渡したという簡易な足場)に立って、長さ2.7m、重さ1.5kgの櫂(カイ)棒を両手で持って、仕込み用のタンク内を攪拌する作業である。また、時に、先の方に氷を入れた暖気樽(氷を入れているので4.8kg以上の重さがある。)を出し入れして、温度調節する。

これらの作業は、寒い蔵の中で、高い足場の上でバランスをとり、転落しないよう注意しつつ行う作業であり、かつ、力の要る作業である。

(9) 午後四時三〇分ころから、釜場の段取り

約三〇分間。

(10) 午後五時ころから休憩、次いで、午後六時ころから夕食、休憩

合計約三時間。

(11) 午後八時ころから、仕舞い回り

約三〇分間。

(12) 午後九時ころ就寝

(13) 午後一一時ころ、泡消し機の点検

夜中に起きた者が行う。原告は週に一回程度行った。

(14) 午前二時ころ、泡点検

夜中に起きた者が行う。原告は週に一回程度行った。

3  (労働時間)

右2に記載したとおり、作業が本格化してからの原告の一日の労働時間は午前五時すぎから七時ころまで、午前八時ころから正午ころまで、午後二時ころから五時ころまで、午後八時ころから八時三〇分ころまでで、合計約九時間強に及んでおり、この他に、週に一回程度深夜の泡消し機点検や泡点検を行っていた。

4  (休憩・就寝環境)

寝室は、酒造りの蔵と同じ敷地内の本宅(被告会社代表者宅)の二階の、急でかつ狭い階段を昇った所にある一二畳程度の広さの部屋で、ここに、山口杜氏、原告、小安土、山下の四人が寝起きしていた。部屋には、押入れもタンスもなく、各人、足元に衣類等をまとめて置いていた。また、暖房設備もなく、各人が電気アンカを持参していた。

休憩室は、蔵の一階にある一〇畳程度の部屋で、テレビと石油ストーブが置いてあった。

三  本件脳梗塞の発症と本件労働との因果関係について

1  (本件脳梗塞の発症状況)

甲第一、一一号証、第一三号証の2、第一四号証、証人山口鉄雄の証言及び原告本人尋問の結果によれば、次のとおり認められる。

原告は、平成六年一二月七日頃から背中に痛みを感じるようになっていたところ、同月一六日午前二時頃トイレのために起床した際、左足の脱力感、不自由さを感じ、しばらく安静にして寝ていたが、治る様子がなく、その後、左上下肢の脱力感、しびれ、しゃべりにくさを感じ、山口杜氏に肩車されて一階の休憩室に移って休んでいたが症状は変わらなかったため、午前九時頃、被告会社の自動車で浅ノ川総合病院に送られ、同病院で脳梗塞(左上下肢不全麻痺)、高血圧との診断を受け、入院した。

原告の発症した一二月一六日は、前日あたりから冷え込み、気温は、午前一時には四℃、午前二時には4.6℃であった。

2  (本件脳梗塞の病型、症状等)

甲第七、九号証、第一三号証の2、第一六、一七、一九号証及び証人服部真の証言によれば、次のとおり認められ、これに抵触する証拠はない。

(一) 脳梗塞は、その原因により脳血栓と脳塞栓に分けられるが、浅ノ川総合病院の診断によると、原告の脳梗塞は脳血栓である。脳血栓とは、脳を灌流する動脈に動脈硬化性病変が進行して血管狭窄がおこり、血栓形成をともなって、血管閉塞をきたしたものとされる。

(二) 原告の本件脳梗塞の場合、浅ノ川総合病院での診察において、頭部CTで、基底核へ向かう右中大脳動脈の穿通枝系領域に梗塞巣が認められたこと、脳血管撮影では、全体的に動脈硬化が強いが、明らかな病変部位は認められなかったこと、頭部RIで、基底核周辺に血流低下が認められたこと、また、後記の基礎疾患、発病の仕方、症状等からして、本件脳梗塞発症の原因となった直接の病変は穿通枝系梗塞(ラクナ梗塞)と考えられる。

(三) 浅ノ川総合病院での初診時の血圧は、右が最低血圧一〇四mmHg、最高血圧一九二mmHg、左が最低血圧一一〇mmHg、最高血圧一八四mmHgという顕著な高血圧の状態であった。

3  (脳梗塞の危険因子)

甲第一〇、一六〜一八、二一、二二号証、証人服部真の証言及び弁論の全趣旨によれば、次のとおり認められる。

(一) 脳梗塞の発症もしくは増悪の危険因子として指摘されているものに、(1)高血圧、(2)動脈硬化、(3)高脂血症、(4)精神的・肉体的ストレス、(5)喫煙・食生活等がある。右の精神的・肉体的ストレスが加わると、交感神経系を興奮させ、血圧が上昇し、動脈硬化を促進するとされる。

強い精神的ストレスは、血圧を上昇させ、コレステロールを増加させるばかりでなく、心臓に負担をかけ、食欲、消化を害し、不眠、うつ状態等をもたらして悪循環を形成し、また、激しい労働など肉体的な過酷なストレスは血圧を上昇させると言われている。

そして、このストレスは、脳血栓発症のいわゆる引き金として重要視されている。

(二) 穿通枝系梗塞(ラクナ梗塞)は、次のような経過で発症すると言われている。すなわち、脳の穿通枝は、太い血管からほぼ直角、もしくは、逆行する角度でいきなり細い血管が枝分かれしているため、血圧や血流の影響を受けやすいうえ、高血圧や交感神経系の緊張等によって生ずる血管収縮により血流が不足して酸素不足(虚血)にもなりやすい。こうした変化が繰り返されると、穿通枝系の動脈に細動脈硬化や血管壊死と呼ばれる変化が起こり、血管がますます細く硬くなっていく。そこに高血圧の持続や急激な血圧上昇が加わると脳出血を引き起こし、血圧の変動や脱水、多血症など血液循環が悪くなる状態が加わると脳梗塞を発症する。

したがって、穿通枝系梗塞(ラクナ梗塞)の発症については、労働に関連する要因として、血圧を変動させる要因、血流を変動させる要因、脱水など血液を流れにくくする要因など、さまざまな労働条件や労働環境が考えられるとされている。

(三) 一般に、脳梗塞等の循環器疾患の労働の環境・条件に関する危険因子として、(1)労働時間と休養のバランスや日内リズムに関連する長時間労働、長時間拘束、休日出勤、連続勤務など、(2)精神・心理的な緊張や負担に関連する危険作業、精密作業など、(3)身体的緊張や負担に関連する寒冷暴露、気温の変化、温度差、高温高湿、重筋労働などが指摘されている。

また、長時間労働は、交感神経の緊張を高め、血圧の上昇や血管の収縮を引き起こす大きな要因であり、業務起因性の循環器疾患発症の最も大きな要因ともいわれている。

4  (原告の健康状態―基礎疾患等)

甲第七、八、一二号証、第一三号証の2、第一六号証及び証人服部真の証言、原告本人尋問の結果によれば、次のとおり認められる。

(一) 原告は、本件脳梗塞発症の六か月前である平成六年六月一〇日に、珠洲市の健康診査を受けた。その際の血圧検査の結果では、最高血圧(収縮期血圧)が一四六mmHg、最低血圧(拡張期血圧)が八四mmHgであった。右の数値は、WHOの基準に照らすと、最高血圧が正常血圧の範囲をやや超え、最低血圧が正常血圧の範囲内にあるもので、全体として「やや高血圧」あるいは、境界域血圧もしくは軽度高血圧と評価される程度のものである。

その他、脳梗塞の危険因子とされる糖尿病や多血症の指摘はなく、コレステロールも問題とならない値であった。

(二) 原告は、六〇歳ころまでは喫煙歴と飲酒歴がある。原告本人は、六〇歳以降は禁酒、禁煙を続けていたと述べているが、浅ノ川総合病院での問診結果や山口杜氏の言からすると、時折少量は飲酒していたものと窺われる。

(三) 右の健康診査の結果等からは、予想される自然的経過では直ちに脳梗塞を起こす危険があるとは到底推測できない状態であった。

そして、原告につき、他に、本件労働に関連する要因を除き、脳梗塞を惹起する有力な因子となる事情を認めるに足りる証拠はない。

5  (本件労働と脳梗塞発症の危険因子)

右に判示してきたところに、甲第一六号証及び証人服部真の証言を併せれば、次のとおり認められる。

(一) 労働時間

前記のとおり、原告は、平成六年一一月五日から本件脳梗塞の発症した一二月一六日までの四一日間連続して労働に従事していたものであり、酒造りの作業が本格化した一一月二五、六日以降の約三週間は、連日、朝五時すぎから夜八時三〇分ころまで、間に三食と休憩を挟んで、一日約九時間強、一週約六三時間を超える労働に従事し、時折深夜の点検作業も行っていたのであって、明らかに、長時間労働を連日続け、原告にとって過重な負担となっていたものと言わなければならない。

そして、前記のとおり、右のような長時間労働と連続勤務は、血圧の上昇や血管の収縮を引き起こし、脳梗塞発症の大きな危険因子となるものである。

(二) 労働内容及び環境

(1) 三〇℃以上の麹室内で約三〇分間蒸米の切り返し作業をした後に出麹の作業をすることは、温度差にして約二〇℃以上の急激な寒冷暴露に当たり、急激な血圧上昇を引き起こすものである。

また、麹室内での蒸米の切り返しは、汗をかくことにより、脱水傾向を引き起こし、血圧変動が大きくなる作業である。

(2) 蒸米作業、酒母作りの作業及び醪づくりの作業は、外気温とほぼ同じ温度の寒い蔵の中での作業で、時々力を要する筋肉労働があり、このような寒冷下の筋肉労働は、短時間でも血圧の大きな変動をもたらすものである。

(3) 蒸米取りの作業は、高温多湿環境での力仕事であり、脱水により血流が濃くなり、循環不全や血栓形成を促進する危険が高い作業である。原告は、この作業を自らの責任作業として、ほぼ一人で、約二時間連続して行っていた。また、蔵内の温度は低いため、作業の位置により温度差が激しく、血圧の変動も激しいと考えられる。特に、汗をかいた後に冷気に触れると体温の喪失は大きく、また、脱水があれば血圧の変動も一層激しいものになる。

(4) 3.4mの高さの二階の梁に渡した簡易な足場から櫂棒で仕込み用のタンク内を攪拌する作業は、転落の危険を伴う作業であり、交感神経の緊張を招いて、労作による影響と併せて、血圧の上昇や血管の収縮を来たす作業である。

(5) 深夜起床した際に時々行なっていた泡消し機の点検や泡点検は、寒い蔵の中に入ってするものであるから、急激な血圧上昇を引き起こし、高血圧を有する者にとって危険な作業である。

(6) 高血圧者では、一般に、起床時に血圧が急に上昇することが知られており、脳梗塞の発症を防ぐためには、寝室等の生活環境の温度管理も重要であるところ、原告らの泊り込んでいた寝室は暖房等もない寒い部屋であり、原告が起床し発症したのは冷え込んだ深夜であったことも、本件脳梗塞の発症との関連が否定できない。

また、寝室は、暖房設備だけでなく、その他の生活設備においても不十分なものであり、かつ、四人が一部屋に就寝するという環境からしても、到底、労働の疲労を癒すのに適したものではなかった。

(三) 右(一)、(二)に判示したとおり、原告の従事した本件労働は、長時間労働の連続であったという面においても、また、高温多湿環境での筋肉労働とその直後の急激な寒冷暴露、寒冷下の筋肉労働、高温多湿環境での単独筋肉労働、神経の緊張を招く高所作業、深夜作業(ただし、低頻度・短時間)等の反復連続であったという面においても、更には、疲労を回復する機会・設備が不十分であったという面においても、原告に対して身体的・精神的に過重な負担・ストレスを与え、脳梗塞等の循環器疾患を発生させる危険の高いものであったというべきである。

6  (本件脳梗塞発症への本件労働の関与)

以上判示してきたところに、甲第一六号証及び証人服部真の証言を併せれば、原告は、本件脳梗塞発症当時、六五歳で、境界域血圧もしくは軽度高血圧と評価される状態にあり、六〇歳頃までは飲酒・喫煙歴がありその後も時折少量飲酒していたものと窺われ、これらのこと及び一五年に及ぶ蔵人としての労働の影響により、ある程度、脳の血管に変化を引き起こしていたと考えられるが、六か月前の健康診査の結果等からは、自然的経過では脳梗塞を起こす危険があるとは推測できない状態であり、他に脳梗塞を惹起する有力な因子となる事情も見当たらなかったところ、前記のような過重な負担・ストレスを与える本件労働に従事したことにより、これが共働原因となって、右のような基礎疾患・脳血管の変化を、自然的経過を超えて著しく悪化させ、その結果、本件脳梗塞を発症させるに至ったものと認めるのが相当である。

7  (まとめ)

したがって、原告の本件労働と本件脳梗塞発症との間には、相当因果関係があるものというべきである。

四  被告の責任について(安全配慮義務違反の存否)

1  一般に、使用者は、その雇用する労働者等の生命・健康の安全に配慮する義務を有し、これに違反した時は、債務不履行になり、損害賠償義務を負担するものというべきである。

2  これを、本件について見てみるに、前記二及び三に判示した事実関係に照らすと、被告には、少なくとも次の各点において、右に判示した安全配慮義務の違反があったものというべきである。

(一)  労働時間及び休日

前記のとおり、原告は、平成六年一一月五日から一二月一六日までの四一日間連続して労働に従事していたものであり、一一月二五、六日以降の約三週間は、連日、朝五時すぎから夜八時三〇分ころまで、一日約九時間強、一週約六三時間超の労働に従事し、時折深夜の点検作業も行っていたものである。そして、被告は、右のような労働体制を当然の前提として酒造りの業務を行っていたものと認められる(被告代表者尋問の結果及び弁論の全趣旨)。このような長時間労働を連日続けさせるのは、明らかに労働者に身体的・精神的に過重な負担を与え、労働者の生命・健康の安全保持に大きな障害となるものであり、かつ、労働基準法の定める労働時間規制及び休日付与規制(労働時間は一日八時間、週四〇時間を限度とする労働基準法三二条の規定及び週一回以上の休日を与えるべきであるとする同法三五条の規定等)を大きく逸脱するものであって、安全配慮義務に違反していることは明らかである。しかも、本件労働内容自体が身体的・精神的に過重な負担・ストレスとなること及び原告の年齢・身体条件等を考慮すると、その違反の程度は顕著なものと言わなければならない。

なお、被告の主張するように、清酒製造事業の醸造部門が、労働基準法八条七号に該当し、同法四一条により、三二条、三五条の不適用事業とされているとしても、そのことだけでは、本件の長時間労働、連続勤務が安全配慮義務に違反しているとの前記判断を左右しうるものではない。

(二)  作業環境及び作業条件の整備

前記のとおり、被告における酒造りに際しての原告の労働は、高温多湿環境下での筋肉労働、高温多湿環境下労働直後の寒冷暴露、屋外とほぼ同じ温度で寒い蔵内での筋肉労働、転落の危険があり神経の緊張を招く高所作業、深夜作業の反復連続であり、いずれの作業も身体的・精神的に大きな負担・ストレスを与える可能性の高い類の作業なのであり、かつ、被告方に住み込んでの連続勤務体制だったのであるから、酒蔵の温度を一〇℃以下の低温に維持することが必要であるとの事情を考慮に入れてもなお、被告としては、作業環境である蔵内の温度設定等について必要な措置を講じたり、交代作業制や複数作業制等適切な作業体制を設定したり、更には休憩、就寝の場所に適切な設備をして疲労回復を図るなどして、右各作業による負担が過重にならないよう配慮すべき義務があったものというべきであるのに、被告は、これらの点につき、蒸米取りにおいて一部手伝いを付した以外には、何らの配慮もしておらず、その結果、原告に過重な負担・ストレスをかける結果となったものであるから、この点においても、被告に安全配慮義務の違反があったことは明らかであり、原告の年齢・身体条件等を考慮すると、右各作業による危険性は一層高いものと理解されるのであるから、この点における被告の義務違反の程度も顕著なものと言わなければならない。

(三)  健康状態の把握と配慮

被告の酒造りの業務においては蔵人に前記のような身体的・精神的な負担・ストレスをかける作業が予定されているのであるから、被告としては、原告その他の蔵人を雇い入れるにあたっては、健康診断をしたり、健康診断の結果の書類を提出させる等して、その健康状態を把握し、これを考慮して、健康を保持するために適切な作業条件・作業環境を設定すべきであったものというべきである。しかるに、被告は、原告の健康状態を全く把握しようとせず、原告が「やや高血圧」という状態にあることを認識しないまま、原告に過重な負担を課する労働をさせ続けたものであって、この意味でも、被告に安全配慮義務の違反があったことは明らかである。

被告は、原告は季節労働者であるから健康診断は必要でないと主張するが、被告における労働内容が前記のようなものであったことに、原告は一五年連続被告において蔵人として働いてきたことを併せ考えると、原告が季節労働者であったことをもっては、被告に原告の健康状態を把握して配慮を加えるべき義務があったことを左右することはできない。

3  そして、被告は、右のとおり安全配慮義務に違反した結果、原告に本件労働を続けさせて身体的・精神的に過重な負担・ストレスを与え、これが共働原因となって本件脳梗塞を発症させるに至ったものであるから、被告は、安全配慮義務違反による債務不履行責任として、本件脳梗塞発症により原告の被った損害を賠償すべき義務がある。

五  原告の入通院の経過、後遺障害及び損害

甲第一、二号証、第三号証の1、2、第四号証の1〜4、第五号証の1〜13、第一三号証の二、第一四号証、原告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、次のとおり認められる。

1  原告は、平成六年一二月一六日から平成七年二月五日まで五二日間浅ノ川総合病院に入院し、退院後は、住所地の珠洲市に戻り、平成七年二月一七日以降、珠洲市総合病院に通院しており、平成九年一月当時も、二週間に一回程度通院を続けている。

2  平成七年四月二八日付の珠洲市総合病院の回答書では、原告の現在の症状は、「左不全麻痺(軽度)」、「左半身知覚障害」で、「軽作業は可能」、「左半身のしびれ感が強いが、他覚的には知覚障害は軽度」と診断されている。右症状は、少なくとも、後遺障害等級表七級の「神経系統の機能又は精神に障害を残し、軽易な労務以外の労務に服することができないもの」に該当する。

3  原告は、本件脳梗塞の発症により、少なくとも次のとおりの損害を被った。

(一) 治療費 金五四万四〇八〇円

原告主張のとおり、浅ノ川総合病院分金四九万〇七八〇円、珠洲市総合病院分につき少なくとも金五万三三〇〇円。

(二) 入院雑費 金七万二八〇〇円

一日一四〇〇円の五二日間分。

(三) 通院交通費 金四二〇〇円

一往復三〇〇円のバス代につき、少なくとも原告主張のとおり合計金四二〇〇円。

(四) 休業損害 金一〇五万円

原告は、当初の予定どおり短くとも平成七年三月三一日まで被告会社で稼働していたならば、平成六年一二月一六日以降も一日当たり金一万円の賃金を得られたはずであったのに、本件脳梗塞の発症により稼働しえなくなり、少なくとも金一〇五万円の得べかりし収入を喪失した。

(五) 逸失利益 金一五六万三二四〇円

原告はその年齢を考慮しても、本件脳梗塞が発症しなければ、少なくとも、あと二年間は被告会社において勤務可能であったのであり、その間一年間に少なくとも金一五〇万円程度の収入が見込まれたところ、本件脳梗塞により労働能力の少なくとも五六%を喪失したものと解される。そこで、右労働能力喪失による逸失利益の現価を、ホフマン方式により年五分の割合による中間利息を控除して算定すると、次のとおり金一五六万三二四〇円となる。

150万円×0.56×1.861=156万3240円

(六) 慰謝料 金一〇〇〇万円

本件脳梗塞による原告の症状・後遺障害の内容、被告の安全配慮義務違反の程度、原告の基礎疾患その他諸般の事情を考慮すると、本件脳梗塞発症による原告の精神的苦痛に対する慰謝料としては、入通院分及び後遺障害分を通じて、合計金一〇〇〇万円が相当である。

(七) 弁護士費用 金一三二万円

原告は、平成七年六月二〇日、被告に対し右損害賠償金の支払を請求したが、被告はその支払を拒絶した。そこで、原告は、本訴の提起・追行を代理人弁護士に委任した。

本件事案の内容、審理の経過、認容額その他諸般の事情を考慮すると、被告の安全配慮義務違反と相当因果関係ある損害として被告に賠償を求めうる弁護士費用は、原告主張の金一三二万円が相当である。

第六  結論

以上の次第で、右損害賠償金一四五五万四三二〇円及びこれに対する原告の支払請求の翌日である平成七年六月二一日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める原告の請求は、すべて理由がある。

よって、訴訟費用の負担に民訴法六一条、仮執行の宣言につき同法二五九条を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官渡辺修明)

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